早起きして思うこと

こんにちは、

 

シュリーヨーガ講師の青砥です。

 

今日もブログにご訪問いただきありがとうございます音譜

 

 

 

最近は夜7時~11時の間に寝て、

 

朝2時~4時の間に起きる生活が続いています。

 

我ながら寝るのも起きるのも早すぎ・・・

 

4時はまだしも2時って!!

 

その話をしたら知人に「自分の嫁さんが2時に起きてたら泥棒かと思う」と言われました汗

 

 

 

家事、雑務を終え朝日が昇る時間になると、必ずベランダに出て深呼吸をします。

 

まだ植物も動物も虫たちも起きる前、世界がこれから始まろうとしている時。

 

空は暗闇と光の二層に分かれ、

 

差しはじめた太陽が雲を赤く染めています。

 

鳥たちだけは早起きです。

 

朝日が昇る頃になると鳴き始め、照らされた雲の前を横切るように飛んでいきます。

 

 

 

太陽と雲と光と闇。

 

薄明りの中、輪郭だけを浮かび上がらせる木々たち。

 

世界を祝福するように、鳴きながら飛ぶ鳥たち。

 

 

 

その様子は本当に美しい。

 

でも彼ら一つ一つは自由に行為を行っていて、全体としてどうしたら美しく見えるか計算していないですよね。

 

「こう飛んだら美しく見えるかな?」と計算しながら飛ぶ鳥。

 

「今日はこんなバランスで雲に光を当ててみよう」と計算しながら光を調節する太陽。

 

うん、いないですね。

 

 

 

それぞれはどこまで行っても自然界の生き物で、そこから逸脱することはできない。

 

自分たちが生きる世界を俯瞰して見る力は持っていないわけです。

 

そこに、その景色をベランダから眺める私という存在が加わって「美しい」と感じ、そこで初めて「美しい」が成り立つ。

 

 

 

もっと言えば、全生命を発揮した彼らの姿はそのどれもが「神の顕れ」だが、知性を持った人間(私)がその景色に「調和」と「神聖さ」を見出すことで、初めて世界は調和を現し、神が顕れるのです。

 

 

 

つまり調和した世界が成り立つためには、その景色だけでは不十分で、そこに「美しさ」を見出す私も必要だということ。

 

私もその景色が「美しく」在るために必要な存在だということ。

 

 

 

そこに自然界の一部として存在しながらそこから逸脱し、自然界を俯瞰して見ることができる唯一の存在、人間の役割があるような気がしました。

 

 

 

人間だけが、自然界の一部として生きながら、知性をもってその世界から外へ踏み出し、世界を見渡すことができます。

 

自然界の産物に「神」や「神聖さ」を見出すことができるのは人間だけです。

 

 

 

また知性を持ちながら、野生を現すことができるのも人間だけです。

 

出産のとき、女性は野生を現します。

 

大切な人を守るとき、男性は野生を現します。

 

 

 

一方、動物や植物たちは知性に劣る分、直観力に優れているように思います。

 

私たち人間がわからない世界の根源的なことを動物たちは知っているように思います。

 

 

 

なにが言いたいのがとりとめの無い話になってしまいましたがあせる

 

今朝は朝日を見ながら、ふとそんなことを思いました。

 

 

 

さてさて、今日も朝日を見ながら太陽礼拝をすることにします。

 

ではまたスタジオでお会いしましょうラブラブ

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